光武内科循環器科病院 介護老人保健施設光風 在宅ケア総合支援センター 長崎県 壱岐市 郷ノ浦町

玄州会について

理事長 挨拶

『25年後 開業100年目を見据えて』

 

この度理事長に就任しました光武孝倫(たかみち)です。壱岐高校、福岡大学医学部卒業後、同大学第2外科入局、関連病院で修練し、2013年より当院で訪問診療に携わってきました。訪問診療(往診)とは、通院困難な方の自宅や施設に定期的(臨時)に伺って診察を行うことで、比較的安定している方、介護が必要な方、がんのターミナルの方、難病の方など、小児から105歳まで様々な方を診てきました。依頼は全て受ける、家族の一員のように接する、その方がどこで過ごしたいかどんなことを望んでいるかを叶える、この3つが私の当初からの決め事でした。始めた頃は月の訪問件数は20件程度、現在は130〜150件となり、島内の83%は当院が担い、在宅医療の中核として責任を強くしているところです。

 

理事長に就任したことで、社会医療法人玄州会がどんな存在であるべきかと考えたとき、私には明確なイメージがありました。
玄州会は、祖父源太郎(げんたろう)が光武医院を開院したのが始まりで、その歴史は1948年にさかのぼります。開院当時、祖父は一人で外来、入院、往診を、24時間365日行っていました。祖父の地域医療に対する情熱と利他の精神、一方でその激務は、自身の川柳に記された「夜のない医者のわたしの二十五時」「ああ患者ぼくをひとりにしてほしい」「休診の札が見えない人ばかり」「生涯を島医者という檻の中」が当時の様子を物語っています。
1982年には現在の地に光武内科循環器科病院として移転し、父新人(あらひと)は「一人では医療ができないこと」、「医療だけではなく介護、生活まで守らないと地域医療が成り立たないこと」、「医療格差をなくすこと」、「壱岐の住民が例え一人になったとしても、病院を継続していくことが私の使命である」と考えました。88床の入院機能、救急から外来、在宅医療まで備える「光武病院」のほか、介護と生活の要として「介護老人保健施設光風」があり、入所、デイサービス、デイケア、パワーリハ、グループホーム、保育園、クリニックを設置、また在宅の拠点として「在宅ケア総合支援センター」を開設、居宅介護支援、ひかり訪問看護、ヘルパー、サービス付き高齢者住宅リバティ、デイサービスリバティを展開してきました。病院-光風-センターは、救急から外来、入院、訪問診療、介護、在宅、施設、生活まで、どこにいてもどんな状態でも安心を届けられる、壱岐完結型の仕組みへと発展していきました。それらを支える職員は非常勤まであわせると390名となり、44名の医師が専門外来や当直でバックアップしてくれています。また、医療格差をなくすため、二次離島でへき地にあたる三島に診療所を2箇所開設し、このへき地医療が認められ、社会医療法人として承認されました。2022年には島内初の病院機能評価の認定を受け、リハビリ部門、栄養課部門、在宅診療部門は最高のS評価を取得しました。一方で、医療の質、安全性、組織体制、各部門の課題も多く分かりました。

 

そういった課題に取り組み、「かかりつけ医」として地域医療をさらに充実させていくためには、玄州会グループの存在がこれからどうあるべきか。私はまず2048年、25年後を見据えました。少子高齢化で人口は25,000人から15,000人程度となり、働き手が少なくなるなか、「25年後も選ばれる玄州会」になるのか、「存在していない玄州会」になるのか。分岐点は、「多様性の受け入れ」だと確信しています。患者様にも、そのご家族にも、職員どうしでも、家庭においても、また、それがどんな状況でも「他者を受け入れる心」を常に持てるような成長を果たすことで、初めて私たちは医療や介護、福祉を提供できるのだと思います。私たちは教科書に書いてある病気を治すのではなく、病気に関わらずその人の「人生を診ている」のです。一瞬でも不安を取り除き、一瞬でも元気になっていただける、そして「医療」「介護」「生活」のどの場面でも全人的医療ができる、これこそが光武病院、玄州会グループの存在意義だと考えています。「いついかなるときも、誰でも気軽に立ち寄れる玄州会」=「スタバのような玄州会」を目指し、みんなの「笑顔」と「元気」が自然ともたらされる「心地よい場所」、サードプレイスを提供していきます。

 

さらに継続のための中期事業計画を「3つの柱」としました。
1つ目は、「医職住の安全」です。利用される方への医療やケアの安全と質の向上、職員やその家族の心身の安全と、職場の働きやすい環境整備、住居である病院や施設などハード面の安全に取り組みます。
2つ目は、「MCI with DX」DXによるメディカル ケア アイランドの実装です。Society 5.0 は、人工知能( AI )や IoT を始めとする革新技術によって、人々がさまざまなニーズに合った質の高いサービスを受けられ、活き活きと快適に暮らすことができる「人中心の社会」とも定義されています。ヘルスケアにおけるデジタルトランスフォーメーション(DX)の仕組みを積極的に取り入れることにより、診断能力や医療安全の向上、遠隔での診療や見守り、情報の一元化で、適切なタイミングで必要な治療やケアを「オーダーメイド」で受けることが可能となり、予防とともに重症化を最小限に留めることで「健康寿命」を延ばすことを目指します。また、業務分担と効率化で空いた時間を、人にしかできないことに当て、フラットな連携をとることで「組織改革」を行います。
3つ目は、機動的資源投入です。「変化を楽しむ」ことを「成長」と捉え投資を行います。安全面とDX化の整備のほか、職員の確保、学びの提供、人事考課、そして業務強化のための人材投入等を機動的継続的に行い、強みを生かし「楽しめる職場」にします。

 

祖父から始まった玄州会は75年目となり、父が発展させ、1人が390人に、へき地という医療格差を減らし、地域完結型医療の整備が実現できましたが、これも全職員が壱岐のためにやるんだという強い想いが脈々とあるからです。私はそれを受け継ぎ、まずは「25年後も選ばれる病院」つまり「開業100年目」に向けて「3本の柱」に取り組み、「多様性の受け入れ」という「大黒柱」のために職員の行動指針を作成し根付かせ、楽しさと幸せを感じられる風土作りを目指していきたいと思います。光武病院は「かかりつけ医」機能が全て備わっています。玄州会はどこでも医療、介護、生活が守れる壱岐完結型の機能があります。島内外の医療機関や関連機関と連携を取り、日本一の地域包括ケアシステムに取り組んでいきます。

 

皆さまのための玄州会グループです。これからも皆さまの健康、生命、生活を守り、壱岐をより良くしていきたいと考えています。どうぞよろしくお願い致します。

社会医療法人 玄州会 理事長 光武孝倫


会長 挨拶

この度、社会医療法人 玄州会の理事長を退任、新たに会長職に就くことになりました。
振り返りますと昭和56年(1981年)壱岐へ帰り、父の光武医院を継承し翌年(昭和57年)この病院を建て、それから41年間理事長職を努めて参りました。
来月7月で77歳を迎え、まだまだ頑張って理事長職を続けていこうと思ってはいたものの体力の衰え、理事長職の重責を感じるようになりました。
また、これから先 壱岐の人口構成に応じた新しい体制を作るべき、それに対応する力は残されていません。
今年3月以来 真摯な議論を理事会、社員総会の中で行う中、光武孝倫が理事長就任を決断してくれたことは、本当に有難く思っています。
今まで空閑院長と共に盛り上げてきました、この先も新たな形の社会医療法人 玄州会として一手間も二手間も加えていく、包括ケアの充実、向上が求められている。
それが皆さんの安定した職場、成長する職場となり、地域の方々、患者さんへの信頼を得ることとなる。
これからは、職員皆さんを少し違った立場から見守り、努力していきたい。

令和5年6月22日


シンボルマークについて

社会医療法人玄州会のシンボル

この度、社会医療法人玄州会のシンボルマークを作成しました。□の中に玄を入れることで、パズルを想像します。パズルは一つ欠けても完成しません。これは、玄州会はすべての職員の存在で成り立ち、さらに病院・老健・在宅すべての施設があっての玄州会であることを意味します。


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